オタクはすでに死んでいるを読みました

 

岡田斗司夫のオタクはすでに死んでいるをよみました。前のダイエット本と世界征服は可能か、が面白かったので。

目次はこんなかんじ

第1章 「オタク」がわからなくなってきた 
   アキバ王選手権  普通の兄ちゃんだった「アキバ王」  一番のファンでありたい  出来合いのお宝  真剣10代しゃべり場   終りの予感
第2章 「萌え」はそんなに重要か  
    「萌え」がわからない  差別する人のメンタリティ  アトランティスとバベルの塔  終焉への予感  
第3章 オタクとは何者だったのか  
   オタクの定義  ネット上の定義  今の世間の定義  
第4章 おたくとオタクの変遷  
  カタカナになった  おたく時代  М君の存在  オタク学入門  イメージの好転  オタクの拡大  オタク原人と第一世代  第一世代はテレビっ子  第二世代と世間  純粋培養の第三世代  アカデミズムによる定義  東京だけが日本ではない  
第5章 萌えの起源  
    日本社会の特殊性  少年マガジンの変遷と日本人の変化  変化はすべての男性誌に  水着は無敵  アニメファンの変容  アニメファンの断絶  「萌え」の誕生  「萌え」の浸透  多民族国家としてのオタク  女オタクの問題  女子という生き物  男オタクの女性化  オタク評論の限界  
第6章 SFは死んだ  
   先例としてのSF  移民が増える  SFファンの変容とSFの死  死の実情  少年ファンの時代  世代間論争のはじまり  世代間闘争へ  運動と闘争の果て  SFの崩壊  
第7章 貴族主義とエリート主義  
   映像がSFを滅ぼした  「萌え」はオタクを滅ぼすのか?  オタク貴族主義  オタクエリート主義  貴族とエリートの反目  第三世代はセンシティブ  中心概念の不在  それぞれの壁  民族のアイデンティティー  努力が消えた  魂の本音 
第8章  オタクの死、そして転生  
  オタクからマニアへ  自分の気持ち至上主義  日本とオタク  平成型不況の影響  個人の時代に  大人は損を引き受ける  大人の仕事  

 あとがきに代えて  「オタク」たちへ

結局オタクとか萌えとかって生きてても死んじゃってても俺にはどうでもいいな、と思っちゃいました。

実は著者もそうなんじゃないかな?はじめにで、「昭和の死」とか「日本の変化」とかの話なら抽象的になっちゃうけど、オタク論なら語ることができる、としているけど、昭和や日本の変化は時代の問題だけど、オタクって時代の問題?オタクとオタク以外に日本人(人間?)をわけて、オタク以外の日本人からの目線をすごく問題にしてて、でもオタクの一般化によってオタク同士の目線もそれと同じようなかんじになっちゃった。それを死と表現するのは時代の問題にしたいんでしょうけど、無理があるような気がするんです。P73でこうあります。

「世代として大きくくくるのは常に危険がつきまとう」

それでも時代、世代でオタクを斬る必要がある。と。なぜなら同ページに

私が最初に感じた「最近のオタク文化は、なんだか違う」という違和感を説明するためには、不完全で危険と走りつつ世代論を語るしかない

そもそも世代はオタクの世代ではなくて時代の世代ということだけなのでは?最近のオタク文化っていう言葉自体に意味がないのでは?と思ってしまいます。

あちこちで「オタク」の定義をしようとまずはいろんな引用があり、かなり後半(P138)でやっと著者の定義がでてきます。

私が定義したオタクというのは、子供っぽい趣味を選び、それに関して、精神力と知性でもって世間の目に対抗していく存在

ここで、あぁなるほど、と腑に落ちました。すばらしい定義ですが私とは違います。この定義では、子供っぽいというのが時代によってかわるので、オタクの定義は時代でかわるでしょう。もちろん人や年代にとっても違いますね。また、世間の目に対抗しなくてはいけませんが、世間の目がなければ対抗しようもありません。

うがった見方をすれば、P190(最後のページ)の

僕もオタキングを廃業し、自分自身の文化を探し始めることにしよう。

これを言いたかっただけなんじゃないか、と。でも会社名(株式会社オタキング)は名称変更されるのでしょうか?

ちなみに私のオタクの定義は「こだわる人」です。ほら、どうでもいいですね。

 

 

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